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『プリンセス・トヨトミ』ロケ地紹介 その0
注意:『プリンセス・トヨトミ』をこれから読む人で、
   一切の前知識なく読みたいという方は、ネタバレを含みますので
   この日記を読まないでください。



**************************************

大坂夏の陣。


天王寺茶臼山にて、
真田幸村の軍は徳川家康に襲いかかり、その勢いは家康に切腹を覚悟させるほどの
凄まじいものであった。

しかし、徳川軍は勢いを盛り返し、形成は逆転。

数度の突撃で傷ついた幸村は、安居天神の近くで手当てをしている所を
徳川方越前軍西尾宗次に槍で刺され、ついに果てた。

すでに堀を埋められ、裸同然となっていた大坂城は、徳川方に簡単に攻め入られ
5月7日深夜に陥落した。

大坂城の燃え上がる炎は夜空を照らし、
遠く京都からも真っ赤に染まる大坂の空の様が見えたという。
豊臣秀頼は淀殿らとともに自害した。

pt-00.jpg

現在、大阪城天守閣で所蔵されている屏風絵「大坂夏の陣図屏風」には、
徳川方の兵達が大坂城下の民衆に襲い掛かる様が詳細に描かれている。

偽首(民衆の首をとり、侍と偽って自分の手柄とする)を取る様子や

民衆に略奪を働き身包みを剥がすところ、

さらには川を渡って逃げる民衆の背中に銃口を向ける光景、

そして女性を手篭めにする様子。

生き残ったものの奴隷狩りに遭った民衆の数は
大人から年端の行かぬ子供まで数千人に達したとされる。


豊臣の大坂城は、堀も埋め立てられ、天守閣も完全に焼け崩れた。
その跡地に大きく盛り土されて建築し、今も残っている大坂城は
徳川が再建した徳川大坂城であり、
豊臣大坂城は今もなお、地下に深く埋もれている。




「花のようなる秀頼様を
 鬼のようなる真田が連れて
 退きものいたり加護(鹿児)島へ」

江戸時代初期の、はやり唄である。

秀頼公も真田幸村も徳川軍によって滅ぼされたのではなく
共に燃え盛る大坂城から抜け穴にて抜け出られて
鹿児島へと落ち延びられたという唄である。

大坂の民の、心のよりどころとなる唄である。




『プリンセス・トヨトミ』を
これから読む人も、
すでに読んだ人も、
この大坂夏の陣を学べば、より深く小説の世界にはまることでしょう。

大阪城へ出向き「大坂夏の陣図屏風」の解説を聞けば
さらにGoodです。


ロケ地紹介としていますが、実際に映像制作されたわけではないのです。
小説に出てきた場所の紹介と、
これから映像制作されるであるという願望と、
ついでに制作者への参考にもなればという思いもこめて
これから数回に分けて写真とMAP付で紹介いたします。

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